野生動物を馴らす「欲求」

少額だが毎月WWFに寄付をしている。

 

今秋号のサポーター誌、野生動物の「ペット利用」に関する記事内に、日本動物福祉協会が掲げる、家畜動物の福祉を確保する五つの基本が引用されていた。

 

曰く、「5つの自由(①飢えと渇きからの自由②不快からの自由③痛み・傷害・病気からの自由④恐怖や抑圧からの自由⑤正常な行動を表現する自由)」。

 

野生動物は飼育者がどれほど愛情と努力を傾けても、生活環境と飼育のノウハウを再現できないため、②と⑤を確保できない可能性が高く、動物福祉の侵害に繋がる、という論旨。

 

同ページ内に、日本人の意識調査結果も図示されている。「Q.外国産の動物や野生由来の動物を飼ってみたい(あるいは引き続き飼いたい)ですか?」。10代では「そう思う・ややそう思う」が39%を占め、20代では25%、30代で21%…と年代が上がるにつれ肯定的な回答は減ってゆく。全世代平均で17%。

 

問題はこの先にある。「知ることによる変化」はあるか、という点だが、回答者に野生動物を飼育するリスクを知らせても、全世代平均は14%になる、という。

 

今後飼育者となる若い世代を中心に、問題意識を持つだけでは、飼育を希望する意向の変化が起こりにくい。

 

「『飼いたい』欲求には歯止めがかかりにくい」ため、WWFとしては「需要そのもの」を減らす必要があると考え、規制の強化とカフェ・メディアへの変化を求めてゆく姿勢で記事はまとめられ、終わる。

 

以下は与太だ。聞かなくてもいい。

 

子は世を映す鏡であるという。僕も概ね賛成する見方だ。

 

グローバル人材たり、メタバースを生き、適応力を求められる子世代に、産まれたその場で生きるために進化してきた野生動物の、「自由」な幸福を守る事を諭せるか?

 

若い世代は野生動物を馴らす「欲求を抑えられない」、倫理的に未熟なのではなく。

 

自らの生まれた世界から離れて、新たな場所で生きる事を当然と考える、新たな倫理を表現しているのではないか?

 

ヒトも動物なのではないか?

 

寄付は続ける。何のためなのか。ヒトの福祉への意識のために。