一室

灰の上にたむろした光の

苦しみを立たしめた香りが

今吹き上がって風に散ってゆく

 

窓から漏れ入る夕景は わずかに

実にわずかに 思い出に席を譲る

 

置きかわってゆく 日々

すれちがってゆく 夜々の

切先が頬に傷を付ける

何故僕は血を流し

何故君はそこにいないのか

けんけんぱ けん から 今も

降りられないで

 

不規則な秒針を気にかけなければ

こんな静けさに気づけなかった

それでも くすんだ灰の

甘い 匂いが

こうして僕に見上げさせる

 

ああ 離れられない

 

知らなかった癒し 清めた部屋の

奥行きの向こうに積み上がった時よ

ほんの一瞬だけでいい

お前の鱗を人差し指で逆撫でして

煌めく気配で俺を満たしてくれ

ヴェロニカペルシカ

一面広がった星の野を

ひとくさり 一掻き

土と掬って机上に置いた

風の丘のミニアチュールは

どこにもない白いワンピースを

いつまでも旗めかせる


忠実な夢を私は

どこに置こうと言うのか


日に焼けたオルゴール

かつて揺れたレース

寂しげな母の面影

薄明かりのシンク

代わりに覚えていて欲しいと

私が願いかけた花


他の誰もが

笑った花の名

旅行を趣味に

しばらく同じ場所で働き続けて、選択肢が狭まったのに、可能性が増したように感じる。周囲の人に愛着を持って働いていたのだ。無くなったものも多い。本を、ほとんど読まなくなって、ゲームも、好きではなくなってきた。

 

喪失感がある。責められているような気もする。それなのにどうして、前途が明るく感じるのか、それは、もうどうしようもないことだから明るいものと見るように、自分の無意識が作り上げた光なのか、それでもなお、少し背伸びして手を伸ばした先に、穏やかな紅葉が見える。

 

協力会社社員という、実質派遣社員だったのが評価されて正社員化して、平均並みの給料を貰えるようになった。

 

旅行を趣味にしようと思っている。このところは弟を誘ってフジロックに行った。車を買おうと貯金を始めた。弟夫婦と、両親も連れ立って海外旅行に行く予定もある。

 

次はひとりで、木漏れ日を見たい。

野生動物を馴らす「欲求」

少額だが毎月WWFに寄付をしている。

 

今秋号のサポーター誌、野生動物の「ペット利用」に関する記事内に、日本動物福祉協会が掲げる、家畜動物の福祉を確保する五つの基本が引用されていた。

 

曰く、「5つの自由(①飢えと渇きからの自由②不快からの自由③痛み・傷害・病気からの自由④恐怖や抑圧からの自由⑤正常な行動を表現する自由)」。

 

野生動物は飼育者がどれほど愛情と努力を傾けても、生活環境と飼育のノウハウを再現できないため、②と⑤を確保できない可能性が高く、動物福祉の侵害に繋がる、という論旨。

 

同ページ内に、日本人の意識調査結果も図示されている。「Q.外国産の動物や野生由来の動物を飼ってみたい(あるいは引き続き飼いたい)ですか?」。10代では「そう思う・ややそう思う」が39%を占め、20代では25%、30代で21%…と年代が上がるにつれ肯定的な回答は減ってゆく。全世代平均で17%。

 

問題はこの先にある。「知ることによる変化」はあるか、という点だが、回答者に野生動物を飼育するリスクを知らせても、全世代平均は14%になる、という。

 

今後飼育者となる若い世代を中心に、問題意識を持つだけでは、飼育を希望する意向の変化が起こりにくい。

 

「『飼いたい』欲求には歯止めがかかりにくい」ため、WWFとしては「需要そのもの」を減らす必要があると考え、規制の強化とカフェ・メディアへの変化を求めてゆく姿勢で記事はまとめられ、終わる。

 

以下は与太だ。聞かなくてもいい。

 

子は世を映す鏡であるという。僕も概ね賛成する見方だ。

 

グローバル人材たり、メタバースを生き、適応力を求められる子世代に、産まれたその場で生きるために進化してきた野生動物の、「自由」な幸福を守る事を諭せるか?

 

若い世代は野生動物を馴らす「欲求を抑えられない」、倫理的に未熟なのではなく。

 

自らの生まれた世界から離れて、新たな場所で生きる事を当然と考える、新たな倫理を表現しているのではないか?

 

ヒトも動物なのではないか?

 

寄付は続ける。何のためなのか。ヒトの福祉への意識のために。

アイン②

アインが歩く階段が白く輝いて月に続いていました。菫色の空をさらに登って、だんだんと暗くなってゆく空、広い広い階段がぼうと光ります。ヨナとリクトはもう随分前にすれ違いました。灰色の二人が手を繋いだまま、あの時のまま、腑を零したまま、階段をすり抜けてゆっくりと落ちてゆくのをアインは覚えていました。ふつふつと空の、月の向こうに点があらわれ、次第に形を見せながら渦になって、階段を囲むように落ち過ぎて行く、その初めが二人だったのでした。それからアインの横を通った枝葉、焼けた鹿、潰れた蛙、前脚のない狼などが、全て色を失った灰色で、ゆっくり、ゆっくりとどこかに降り積もり、階段をやはり幻のようにすり抜けているのです。隣を過ぎ行く大きな鯨の目玉にアインは手を伸ばしました。とぷり、とそれに指先は沈み、霧を撫でるように造作なく、また落ちて行くのでした。見上げたアインにうねる鯨の体が大きく迫り、反った胸鰭のまわりを月明かりにきらきらとした塵が薄桃色に濃い紫の空の中漂っています。アインは止まらず階段を登り、鯨の体をすり抜けて月を見ていました。こうこうと光る月は白く、その色と同じ階段は音もなく、ただ省みれば背後に暗闇があるばかりだと知っているのです。足を離した端から消えて、さらさらとした砂のように、それらの灰の死骸とともに柔らかな風の中に溶けて行くのでした。アインは登る道すがら、昔のことを思いました。

 

アインは砂の街に生まれました。母はなく、父もありませんでした。気付いた時には砂壁の横、影の隣で丸まっていました。産み捨てられた子でしたので、おおかた砂でも食べたのでしょう。むくりとアインが起き出すと、さらさら詰まった耳の奥から細かな白砂が滑り出ました。まつ毛が砂で白んでいました。破れた布で体を覆っておりましたので、いつかは何かを着たのでしょうが、そうした記憶はないのでした。吹き散らされた風に乗って、肩の袖跡から砂が溢れます。ぼんやりしていたアインの前に、ごつい片手が伸ばされました。赤い小さな実が二つ、その手のひらに乗っています。アインが腕の根元を見ると、白い髭して浅黒い肌、緑の目をした老人が、不思議な模様のフードの中からこちらをじっと見ていました。それをアインはしばらく見ると、手のひらの実をひとつつまみ、それから口に入れました。それがアインの先生でした。

 

砂地を抜けて、次第次第に緑を毛馬が踏むようになってきます。二人は毛馬にまたがって、幼いアインは先生の背にしがみついていました。アインはずっと考えていました。先生の背中から微かに砂の匂いがして、毛馬の足音が体に響きました。


何かを思い出したくないのでした。その何か、思い出したくない事が大きすぎて、ずっと考えているのです。そういう風に先生の背中にしがみついて、背中は暖かく、ここに来るまでに遭った砂の嵐も、輝くばかりの月と寒さも、日照りの下の痛い乾きも、アインにはよく分かりませんでした。


先生から被せてもらったお揃いの服の下でアインは、思い出したくありませんでしたし、思い出しませんでした。先生は何も言いませんでした。赤い小さな実を食べるアインを見ている間も、よたよたアインが先生の後を歩く間も、ついに毛馬にまたがる時にアインの両脇に手を差し入れて抱き上げ先にまたがらせた時も、何も言いませんでした。今もそのまま何も言わず、アインは先生の背中にしがみついています。


砂の街に生まれたことは、アインにとってどんな意味があったのでしょうか。気付いた時には路地に捨てられていたアインには分かりかねることでした。目やにがこびりついていました。砂で目が開かないのでした。唾をつけてこすり、痛む目を軽く押さえながら体を起こしたアインは、土壁の作る影に腰から下を沈ませながら、一帯影に沈んだ路地を見て、それから狭い空を見上げました。


先生の顔は無表情でした。明るい緑色の目と、深い皺と、白い口髭、顎髭、眉毛の顔は、茶色のフードに縁取られて、一つの文様のように完成されていました。前を見る先生の頭上に月がかかっていました。青白い昼の空でした。太く頑丈な毛馬の足が、しっかり重く砂を踏みました。